津川から新潟まで70キロの水路は上流にくらべ非常に安全でした。
また津川船道は会津藩が水運取り締りのために津川に置いた地下役人をさすそうです。
つがわといふえきにいたる、此ところは川ふねの出入りおほく
えちごにいがたへ ふねの出るところにて、あきんど見世もおほく
いづれも大家のみ見えてはんじょうのところなり
文化十二年 十返舎一九
津川をでると間もなく川の流れは驚くべき山々にさえぎられているように見えた。
山塊はその岩の戸を少し空けては私たちを中に通し、
また閉じてしまうようだった。廃墟のないライン川である。
明治十二年 イザベラバード